テレビ朝日 ザ・スクープ 「保土ヶ谷事件」動画配信コーナー

「保土ヶ谷事件」は、マスコミでは「保土ヶ谷保護責任者遺棄致死事件」として報道されています。しかし、この事件の本質は警察官による「死体遺棄」事件であり、さらには組織ぐるみの「隠ぺい工作」事件であると、我々は考えています。

その1−事件

その2‐告訴と裁判

その3‐事件のポイント


 
これまでの経過
平成9年(1997)
7月19日、保土ヶ谷事件発生。久保幹郎氏死去。
平成10年(1998)
9月 幹郎氏の夫人、横浜地検に刑事告訴。
平成11年(1999)
9月 監察官室、司法解剖有りとする「保土ヶ谷事案の概要」をマスコミに発表。
10月 神奈川県警、一連の不祥事で揺れ、深山本部長辞職。
平成12年(2000)
2月 横浜地検、夫人の訴えを却下、刑事告発を不起訴とする。
4月 田中節夫警察庁長官、斎藤巡査は18日のパトカー出動を知らなかったため、夫人に告げなかったと国会で答弁。
7月 東京高検、夫人の訴えを却下。
7月 監察医、東京地裁に現れ、司法解剖をして摘出心臓を保存してあると証言。
9月 横浜地裁民事裁判の第1回公判。
10月 TBS「ニュースの森」で取り上げられる。
平成13年(2001)
4月 公判7回めにして、はじめて監察医から「摘出臓器」が出される。
5月 監察医、DNA鑑定に必要なブロック標本・薬品処理履歴の提出を拒否。
6月 傍聴人らが「原告支援者の会」を結成、県議会に真相究明を求める請願を提出。
8月 監察医、ブロック標本を裁判所に提出。DNA鑑定が開始される。
平成14年(2002)
2月 テレビ朝日「ザ・スクープ」保土ヶ谷事件特集第1弾を放送。
4月 「臓器片は別人のもの」とするDNA中間報告提出される。
4月 テレビ朝日「ザ・スクープ」保土ヶ谷事件特集第2弾を放送。
4月 監察医、押田教授を鑑定人にふさわしくない人物として忌避申し立て。
7月 横浜地裁、忌避申し立てを却下、押田教授によるDNA鑑定の続行を判断。
10月 パトカー巡査2名に対する証人尋問。
平成15年(2003)
1月 横浜検察審査会、平成12年の地検による「不起訴」を不当とする議決。これを受けて地検は再捜査を開始。
3月 DNA正式鑑定書提出される。提出臓器のDNA型、久保幹郎氏のものと矛盾。
5月 東京地裁、テレビ朝日「ザ・スクープ」に対する監察医の名誉毀損請求を棄却。
6月 県議会・防災警察委員会で自民党・あかま二郎議員が県警に質問。佐熊監察官室長、「司法解剖の事実には自信がある」と答えるも物証を提示せず。
11月 押田鑑定人第1回鑑定人尋問。
平成16年(2004)
5月 東京高裁、テレビ朝日「ザ・スクープ」に対する監察医の名誉毀損控訴請求を棄却。
2月 押田鑑定人第2回鑑定人尋問。
4月 地検のDNA再鑑定で提出臓器が「別人かつ女性のもの」と判明。
5月 立会警察官・井上元巡査部長に対する証人尋問。監察医は解剖中、臓器重量を測ったりメモを取っていないと証言。
6月 横浜地検、再び「司法解剖有り」として監察医を不起訴処分とする。
7月 事件から7年を経て、刑事事件としては時効が成立。
7月 元葬儀社員2名、解剖はなかったと証言。
9月 立会警察官・斉藤元巡査部長に対する証人尋問。監察医が解剖中に臓器重量を測るところを自分は見ていないと証言。
12月 伊藤監察医に対する証人尋問。解剖中、自分が臓器重量を測り、手袋を替えつつメモを取ったと証言。
平成17年(2005)
1月〜11月 事故状況を医学的立場から検証するS大学・田ノ浦次郎助教授(仮称)の意見書、 自動車工学の立場から検証する平野鑑定(仮称)が原告から提出される。
12月 結審
平成18年(2006)
4月25日 横浜地裁判決
5月  原告及び被告神奈川県警双方が控訴
平成19年(2007)
2月 5日 押田鑑定人が意見書提出。裁判所書記官の聞き間違いが、乙A12号証として鑑定の信用性否定の材料に使われたことが判明。
6月19日 東京高裁結審。本田鑑定人の証人尋問、実現せず。
     久保氏の臓器、ついに法廷に提出されず。


ホームに戻る